『四月は君の嘘』
なんかピアノとかバイオリンとか、あとザ・ギースの片割れがゴッドタンでひいてたハープやってる奴、つまるところクラシックぽいこと?やってる奴はいけ好かないし、しゃらくせえ輩というイメージがあった。だってなんか、なんか、むかつくじゃん。優雅な感じがする。はあ?練習の合間に紅茶でも飲んでるんだろ。カップよこせよ。おれが溢れるくらいコーラで割ってやるよ。クソくらえだ。金の匂いがする。死んでしまえ。ルサンチマン大爆発である。
かつておれもなぜだかピアノを習わされた事があって、全く楽しくなかった。ほんとに毎週毎週ピアノ講習の時間が苦痛であった。おまえあんな高え音がするパンダを魔改造したみたいな機械の前に座らされてその身体を愛撫しなきゃならんのだ。そこらへんのわけわからん公園でうんことか叫びながら走り回ったほうが楽しいだろ。そういう年齢だったんだよ。ピアノは全くうまくならなくてよけい地獄だった。
たしか高校の音楽の教師が「音楽は無理やりやらされると音我苦になるし、そういうの避けたい」とかいってた。そういうわけで、音我苦というか強制音楽の苦痛の記憶に相まって、あと、貧乏性なのか、なんだかピアノとかバイオリンとかやってるやつはムカつくみたいなイメージが強固であったんですが、あるときイメージが変わったんですよ。
そのきっかけが『4月は君の嘘』。ぶっちゃけると一回くらいしか通しで読んでないんだけど凄いインパクトだった。
なにが?いや、ピアノとかああいうクラシックって、血反吐吐いて悔し涙流しながら上達を目指す世界なんやっていうイメージの劇的な変換。コーラで割るとか言ってすまん。なんか金持ってて余裕あるやつが片手間にやるもんだと思ってました。すいません。そういう意味での物語のカロリーの高さもあったし、あとなんか結果的にあれになる女の子めっちゃかわいいよね、いいこだ、、、!いいこすぎる、、、!!それからそれから毒親要素もあったな。ピアノなんかやりたくねえよクソバカっていう記憶が蘇った。スタート地点から共感した。
だから、『四月は君の嘘』、は?『3月のライオン』のクソパクリみたいな名前なんだろ?はいはい二番煎じワロスっておもってたけど、本当に読み終わった時にいろんなイメージがひっくり返された。もうね、よかった。おれは泣いた。久しぶりに漫画で泣いた。物語が読者のものの見方をひっくり返す力を久しぶりに思い出した。
『四月は君の嘘』ってのもほんとうにできたタイトルできれいに伏線を回収したよ。マジで見事に美しかった。ちょうど読んだのがベースをいじりはじめた時期で、ああ、俺は知らなかったけど音楽は本当に楽しいし、出会い方が違えばあのパンダをもっと好きになれたかも知れなかったのにという後悔もあった。
ところで、アニメ版『4月は君の嘘』のオープニングをgoose houseが歌っていて、その歌う人らの設定、物語の展開が相まってすごく素敵なんです。曲単体としての評価はおそらく高くないし俺もそう思うんだけど、曲の置かれたコンテクストを含めるとすごくいい。
音楽と物語が重なるところにある劇伴やOP,EDが、本当にうまく噛み合って輝く瞬間が大好きだ。
最近ジムもいけないくて暇だから久しぶりにベースを練習してみよう。多分音楽うまくなんねえけど、楽しいんだよ。とはいえ、楽しいし気持ちいいってだけでも価値があるよね。