34歳からはじめる自由帳

あれが好きななにかについて言葉にするブログだわんわん。チャームポイントは誤時脱字。

ビブグルマン

ある時、おじさんに事件が起きる。

 

学校を出るために500万借金をつくったお兄さん(現おじさん)が、家計のやりくりに四苦八苦していたところ転職して年収が300万ほど上がった。

 

筋トレと電車で行くキャンプ、読書以外で大して興味がなかったおじさん(元お兄さん)である。将来を考えていた彼女がいたものの、転職したこの会社は労働時間が長すぎて続けらんねえと速攻で気が付く。そうしておじさんは転職活動に励む。

 

転職活動といえば資格の勉強と振ってもらった勉強である。おじさんが資格の勉強と並行して過重な労働によりあぶく銭を手にして何をするかというと、彼女とのデート代と資格の予備校代以外は、家で酒を飲むくらいであった。おじさんはあぶく銭を舶来のいいビールに変えた。うまい、なんてうまいんだ。

 

しかし、いい酒を飲んでいい気持になった結果、風呂場の壁で額を割る事件が起きる。おじさんは湯船のヘリが高すぎて足の甲をへりにひっかけたのです。

 

引くほど整形外科で額を縫っておじさんは気が付く。

 

これはだめだ。不健全である。

 

おじさん、というかおれはそこから飯に金を投下するのであった。

 

うまい飯はいい。ドーパミンがたくさん出る。わかりやすいではないか。脳汁ドドパドパですね。

 

しかし、おじさんはこれまで西友でアジを買ってさばいてたたきにしてストゼロを飲んで満足してきた男である。お店はわからん。よさげなお店を抽出できる優れたフィルタリングが必要だ。

 

そうしてうなっていたところたまたま出会った言葉が「ビブグルマン」であった。

 

「ビブグルマン」。ミシュランコスパいい部門のお店に与えられる称号である。当時、錦糸町に住んでいた自分は、うまい店に行こうと思いお店を調べるときに開くのが食べログであった。食べログで3.5以上の店は錦糸町にはたくさんある。

 

でもね、そんじょそこらのお店に比べてビブグルマンは引くほどうまいんですよ。うまい、(そんなに高くないという意味で)やすい、間違いない。

 

そうしておじさんはデートの成功率を爆上げしつつQOLの向上を図るのでした。

 

えーっと、うまくまとめられませんでしたが、マッチングアプリやってるおじさんは、速攻でミシュランのウェブ会員になってクッソ安いビブグルマンのお店に女の子をデートに連れて行けばいいと思います。

 

「ふがふが、、、わいはごはんがすきでね、、、ここのお店がミシュランにぺろぺろ認定されているでやんすよ、、、げへへへ、、、、youとね、youと一緒においしいものをね、、、食べたかったでんで予約したんでごんす」とでも言っておけばいいと思います。

 

 

ぜひ会員になって行ってみてください。貧乏性で恐縮ですが、ピザがコスパいいんでおすすめです。

 

げへへへ、、、コスパが、、、いいんでごんす、、、!

 

 

 

「ようこそ世界へ」

 後輩と飲んだ。後輩は子供が欲しかったけど嫁は欲しくないらしい。「あくまで現在は」という留保をつけて、大好きな人と一緒にいるために子どもを諦めることにしたという 。結婚はしたいか?子どもはほしいか?と聞かれた。

 

 したいです。欲しいっていうと自分の所有物みたいだけどもう少し突き放して会ってみたいと思えると答えた。

 

 後輩は日本の長期的でマクロな政治経済の動向からオワコン日本で子供を産むことってどうなのみたいにいう。あと、お前はなんだかんだ言って自殺したい、自殺を一つの美しさの現れだと思ってるだろとか何度も言ってくる。思ってねーよ。まじで思ってねえ。

 

 いや、お前は俺のことを大学生のころからずっと知ってるからそう思うのも無理はないと思うよ。

 

 後輩と出会ったのは大学生のときだった。当時、おれは世の中を激しく憎んでいで、人との関係でも斜に構え、人生なんて失望と闇の連続だと思ってた。

 B3の頃の口癖は「死にてえ」である。そういうわけで冴えないラッパーみたいに延々と昼間っから社会への不満と不正義への文句を論理的な批判として吐き続け、朝から晩までのチェーンスモーキングから、日が暮れたら我を失うくらい酩酊する毎日を過ごしては、そんな自分を面白がってくれる人と飲んで粗相しまくっていた。

 

 素面な時には尻ポケットに理屈っぽい新書とくそったれな近代日本文学の文庫を刺していた。高田馬場では太宰や漱石が50円で買えた。ストゼロより安い。

 

 やけっぱちである。自己破壊的だ。デカダンスウォッカ(300円)、太宰治天童荒太。あと、芥川龍之介。物質嗜癖。馬鹿田大学落第生。

 

 女への依存とつながりうるきっかけもあったが、付き合った女が段違いのゴリゴリのメンヘラで二度と女関係でしくじるまいと思う始末(3週間でバックレた)。世の中はうまくいかないものである。それでも、それでもクスリに行かなくてよかったあ。

 

 今の自分はどうだろう。いや、30歳を境に結構大きな出来事があったんだよ。まだうまく生きられてないですけど。酩酊することもよくあるよ。前よりは全然いいけどね。

 

 子どもの話に戻る。子供ができたとする。きっと子供はクソみたいなことも経験して、比ゆ的に言えば魂が変質するほど傷つくこともたくさんあるんだろう。

 

 でも、いいことも結構あるんだよ。世の中の本当に汚泥みたいなクソな部分を知らずに幸せそうな人がいたり、嫌なことばかりしか経験できず亡くなってしまう人もいる思う。

 

 あと、ドーパミン足りなくていろんなものに依存してるひととか。とはいっても、ダメなことしかないわけじゃない。

 

 昔、fujiponさんが子どもが生まれた時に感じたことを文章にしていてすごく感動した。うん。後輩が言うようにオワコン日本で子どもを産むって何だろうな。

 

 最初の問いに戻る。子どもに会ってみたい。そして、子どもに会ったときに「ようこそ」って言いてえなあっておもう。今のおれは初めて子どもと会ったときに、きっと、「ようこそ世界へ」って祝福できるようになってると思う。

 

 やっと。やっとだ。おせえよ。アラフォーやぞ。本当にいつも成長の速度が遅いし足りてないと思う。それでも、今の社会に生きる一員として、新しく一員になる人にそう言えるようになった。やっと言えるようになったんだと思う。

 

 だからこの言葉は本当に大切にしたい。知り合いのごりごりのヤリチンが毎日つぶやいてた「おはよう日本」の対ではあるんだけど。

 

 それでもいつかは言いたいと思っている。「ようこそ世界へ」

 

 ここはくそったれな事件にあふれているけど、それでも素敵な出来事もすくいきれないほどある。

 

 世界はきっと美しい(そういうことの方がきっと多い)。「だから、君にも世界を見てほしいんだ。」そんなことを伝えたい。

 

 

 

仙台市若林区荒浜

 東日本大震災が起こってから、おそらく8回くらいは仙台の荒浜に行っている。8回目は仕事で訪れた。

 

 大学を出た後の仕事をどうしようかと思っているときに震災が起こって、役所で働くことを選んだ。その後、辞めたけどね。そこから偶然が偶然を生んで今の仕事についてる。

 

 仙台はいいところだ。とはいえ、震災が起こるまで一度も行ったことはなかったんじゃないかな。震災発生時、学生だった俺は記者志望だった。でも、震災を気に公務員を志望するようになり、その後、結果的に公務員をやめた。そんな土地を役所をやめた後の転職先の業務で踏みしめることになった。

 

 繰り返しになる。2011年の3月11日に俺は東京で学生をしていた。地震の発生時には、たまたま揺れを吸収する椅子に座っており、おかげさまでかなり震災の被害を甘く見積もることになる。そんなに揺れてないじゃないか。

 

 ちなみにこの椅子はオードリーが調子に乗ってお昼の生放送でぶっ壊した椅子です。

 

 そんな俺視点では微妙な揺れがあった日の翌日の朝刊では、日経新聞が東北の甚大な被害を伝えていた。就活生だったおれは、背伸びして日経新聞を読んでいた。

 

 理解不能なために長官の一面を適当に流して、もともと予定していた東京から山梨へのドライブにでかけた。往路では震災の話になったけど、俺はことの重大さを把握していなかった。

 

 ドライブは楽しかった。ワイナリーに行って、ほったらかし温泉にも行った。ほったらかし温泉の休憩室でみたテレビでは、福島原発から白煙が上がいた。

 

 山梨からの帰り道、東京への復路では皆が無口になった。誰も喋らない車は高速をひたすら走った。俺たちの車の隣では京都市から被災者向けの物品を運ぶトラックがちょうど同じ速度で走っていた。

 

 帰郷後、どうしても現地が見たくて、震災の3日後には茨城県大洗町になんとか足を調達して向かうことになる。大洗町では信号機がその体躯をひしゃげ、まちなかにはコンテナが散乱していた。おまけに津波が運んできた土砂が乾き、ホコリが舞って非常に不快であった。でも、被災地を見て、なにか自分も社会のために出来ないかと思った。

 

 大洗町でなりたい自分の姿に迷ってその3か月後、俺は内定がないまま仙台のボランティアセンターに行くことになる。ボランティアセンターの担当者の指示に従い、海辺で人がたくさんさらわれて死んだ仙台市若林区荒浜でボランティアをすることになった。ビーチの隣の地区だった。

 

 荒浜では、広大な田んぼと、それでも人が生活をするために開発した土地がめちゃくちゃになっている様を目の当たりにする。荒浜は人の生活の痕跡と死、濃厚な海の匂い、が同居する土地であった。

 

 基礎部分を残して建物がごっそり喪失したさまを目の当たりにした。ビーチで海を眺める親子の背中を見た。人が生きる場所は当たり前にあるのではなくて作っていくものだと強く思った。3か月たっても死の痕跡がそこら中に残っていた。この経験が自分の生き方に大きな影響を与えている。

 

 冒頭の話に戻る。仕事で荒浜にいった。荒浜にあった死の匂いの象徴だった学校は、震災を記憶する施設となっていた。震災は"記憶"しなければならない"歴史となりつつあった。人の生と死の匂いは何もしなければ、きっと忘れられてしまうのである。

 

 海辺の駐車場にはやんちゃそうな男の子が乗る車が駐車場に乗り付ける。男の子たちは季節外れの海を楽しんでいる。俺がかつて見て感じた感情とは全く違う景色が見えるんだろう。

 

 そういう光景を見ると思う。俺は年をとったのだと実感する。震災からたった10年しかたっていない。でも、たった10年前の出来事を歴史として受け止める世代が(受け止められる世代が)今、生きているのだと。

 

 おれはがっつりおっさんなのである。もうおっさんだから、次の世代のためになんかやろうと思った。かつて、他人のためにまちづくりの仕事をしようと思ったように、次の世代、というか後輩のために仕事をする世代なのだ。

 

 荒浜の海岸で『歌うたいのバラッド』を聞く。おれはもう歌を聴く側ではなくて、歌う側なのだと思う。子供たちが次の世代に善意を引き継いで与えられるように。

 

 そう思った。ちょっと前だけど、そんな話。

 

https://www.akaihane.or.jp/saigai/higashinihon/

 

 

 

 

湯治2/2

ご無沙汰しています。

 

3月に経験した当時の続きを書きます。みんな元気ですか?おれはちょっとずつ元気になってます。つまり、湯治だけでは回復しなかったんだね。

 

俺が行った湯治場は、岩手の山奥にある宮沢賢治がなんか滞在したっぽいところでした。3月の俺はとにかく疲れ果てていた。墨田区を離れて山の中に行きたかった。人間の存在とは何かを真剣に考えた。結婚したかったんですけどね!!

 

そんな精神状態で岩手で何をやったのか。以下、非常にシンプルに伝えます。

 

朝起きる

養命酒を一杯飲む

→①温泉に入る

→朝ご飯を食べる

→昼寝をする

→②温泉に入る

→お昼ご飯を食べる

→③温泉に入る

→昼寝をする

養命酒を一杯飲む

→ご飯を食べる

→④温泉に入る

→ノンアルビールないし酒を飲む→

→寝る

 

これを一週間続けた。やばい。それまで8時間くらい残業してたのに。やったらだいぶ回復したよ。休養大好き。

 

結果得たことは、ひとがだらだら過ごすことの尊さであった。おれはもっとだらだらしたいのだ。もっとだらだらして充電したら、また2時間くらい毎日筋トレしたり総合格闘技がしたいんや。

 

今も都心で働いている。幸い今の仕事はゆるい時間もあって、そんなときは在宅でお昼寝をしている。忙しいときはやばくてゴールデンウィークは消失した。

 

それでも、去年ためた疲れはまだとれていない。

 

前職のくそったれバカ忙しいからの湯治による再生の経験を経て考えるようになったとがある。

 

できるだけ手を抜いて金を稼ぎたい。無茶はもうしたくない。

 

毎日8時から22時か23時、ときには24時を超えてまで丸投げされた仕事をこなしたり、こなすために勉強する人生はまっぴらごめんである。200万円も残業代もらう生活はしたくないのである。

 

早く引退したい。39までに結婚しなかったら沖縄に引っ越して転職しようと思っている。

 

とりあえず9月に建設業経理士1級とったあと、来年・再来年で認定ファシリティマネージャーと宅建とるんでどなたか雇ってくれませんかね。

 

海が見えるオフィス希望です。

 

 

 

湯治1/2

心身が死んだ。不本意ながらここ1年、心身ともに限界を攻め続けたためである。

 

幸い、心身を犠牲にしてまで追い求めた目標は、ほぼ実現することができた。そして(1つ目のカジュアルな)死を超えて、おれは「湯治」に出会う。

 

現代人はピリオドを跨ぐときに「湯治」に出会う。ピリオドの手前で以下の4点を教訓として得た。

 

①自分はハードワークを正気で実現することができない。正気を超えた時、カジュアルな心身の死を経験する。

②心身が死ぬほど努力をすべきでない。やばい。

③心身が死ぬほど努力をせざるをえない環境に身を置くと、心身に加えて何かがさらに死ぬ。これが二度目の死である。

④二度死ぬのは、ほんまやばいで。

⑤転職先の労働条件はしっかり調べたほうがいい。

 

幸い、死ぬほど心身がヘルだけど二度目の死の前に休みを獲得した。これが獲得できなければいろいろ合法的に刺しにいくつもりだったが、刺さずにすんだ。カジュアルに死んでいる人は職場にたくさんいた。とにかく俺はカジュアルな死だけで済んだ。二度目の死を避けることで刺さずに済んだ。紛争は無駄である。無駄なんだ…無駄だから嫌いなんだ無駄無駄…

 

とはいえ、一度死んだ俺の自律神経は休みとなってもやばいばばであり、興奮状態が続いていた。この休みをどう過ごせばいいのか。

 

答えは文頭に戻る。「湯治」。

 

「湯治」は近代文学の巨匠たちがやるやつであるらしいということは知っていた。なんか温泉街でまったりするらしい。でも、それはあまりにも古い知識だ。そこで、ネットサーフィンでその知識を更新することとした。歴史と現代の交差である。死は歴史を更新する。

 

ネットサーフィンで「湯治」について、概ね以下のことがわかった。

 

①温泉に長く浸るとなんか病が癒えるらしい。

②「湯治」をするやつは①を期待して一週間以上温泉に浸るのがスタンダートだったっぽい。

③②の期間の長から滞在費用を抑えるため、湯治するやつは自炊したりするっぽい。

④「湯治」ができるのはだいたい僻地である。

⑤④みたいな場所は僻地であれなので、歴史が歴史のまま残っている部分があり、いまだに「湯治場」と呼ばれる場所では混浴が多々ある。

⑥しかし、そもそも①は怪しいかもしれない

www.asahi.com

 

結果、とにかく「湯治」に行ってみることにした。①の効用はしらんけど、とにかく人がいないところでお風呂に入りたかったからである。ガチ勢向けのところもあるけど、怖かったのでそこは避けた。

 

考えた末、おれは新人向けの「湯治」を行うべく岩手行きの新幹線の乗車券を購入する。そして、かばんに養命酒ノンアルコールビールを積んで、「湯治場」へ行くために東京駅に向かう。

 

車窓が好きだ。飛行機は出発地と目的地をワープで飛ぶようで好きではない。都市と都市の間の田舎を眺めることで自分が移動をしていることを感じられる。北と南を移動する中で感じられる季節感が好きで、旅行は鉄道でするようにしている。

 

ぼんやり外を眺めてたどり着いた岩手県で、おれは「湯治」という未来を経験する。結論から言うと「湯治」は実によかった。

 

あまりにも長くなったので、文章を2つに分けます。

 

 

 

『仮想ディストピア』

メリークリスマス。付き合い始めから将来を考えようと話していた彼女と別れ、お先真っ暗な僕です。こんばんは。まもなくアラフォーです。出口が全く見えません。

 

でも大丈夫。別れた遠因であり、入り口から労働環境が話と違った現職について、これはだめだと始めた転職活動は順調である。早速、最終面接が秒で2本決まった。だから大丈夫、大丈夫、ぼくは大丈夫(自分に言い聞かせる)。眉村ちあきを聴けば大丈夫。

 

何年か前、30歳くらいの俺はももクロ沼に1年くらいハマった(以下、この1年を「ももクロ元年」という。)。

 

疲れていたんだと思う。偶然聴いた仮想ディストピアがぶっ刺さった。何がきっかけで『仮想ディストピア』にはまったんだろう。全く覚えていない。

 

いずれにせよ、そこからももクロに関心を持ち、モモノフである友達の彼女にいろいろ教えてもらい、ライブ童貞をももクロに捧げるほどはまったのである。

 

ライブの物販では、黄色のライブTシャツを買った。本当は桃色がどタイプなので桃色Tシャツがほしかったのだけど、友達の彼女の目を意識すると恥ずかしくて買えなかった。

 

話を戻す。30歳くらいの時、おれはいろいろ行き詰まっていた。行き詰まり、先が見えず、狼狽えていた。それでもなんとか、他人に心から助けを求めることができた。

 

助けてもらい、定期的に色々お話したりしていた時間とととももクロ元年は重なる。ももクロ元年中は、何日に一回かは『仮想ディストピア』を聴いていた。あるときは移動時間に、あるときは安い酒で酔いながら延々と聴いた。ときには部屋で歌った。

 

しかし、突然、憑き物が落ちたかのように『仮想ディストピア』を聞き続けるたももクロ元年は終わりを告げる。

 

終わりのきっかけは思いつかない。なんでかはわからないけど、突然気が済んだのだ。おれがももクロを必要としていた時間は終わった。

 

今日久しぶりに『仮想ディストピア』を聴いた。そうしたら、なんであんなにハマったのかわかった気がした。

 

きっと、そのときのおれは、"自分という人間を一度ぶっ壊して、人とつながっている実感を感じられる人間に再構成したかった"のだ。

 

昨日、休日出勤をして、たまたま出勤していた職場のワンオペ奥さんと色々話した。話をする中でたくさんのことに共感した。ワンオペ奥さんのことが人間的に好きで、そんな人としっかり話せて嬉しかったし気分転換になった。とはいっても、話を聴いた時間が長くて、本当は一番聴いて欲しかった「実は僕、仕事やめようと思うんです」とは言えなかった。

 

ももクロ元年のおれは、そういう言いにくいこととかも安心して他人に話せて、相手が受け止めてくれるような関係を心から求めていたんだと思う。いや、今だって求めている。

 

奥さんの話は直接的ではないけどワンオペしんどいという話で、そういう話を聞くこと(吐き出す手伝いをすること)ができたことは嬉しかった。でも、きっと自分の気持ちを話せなくて消化不良だから、昨日は、またストゼロとかうまい日本酒を飲んでいたのだろう。

 

なんというか、『仮想ディストピア』って、そういう曲のように思える。

 

おれは不器用だから、"人とつながりたい"と心から思っていることを時々思い出さなきゃ忘れてしまう。

 

『仮想ディストピア』は「星がひとつ壊れちまった」から「星がひとつ生まれ変わった」で終わる。大好きなんだけど、できるだけ聞き返さないで生きれるようにしたい。

 

今日も休日出勤です。ファック弊社。

 

 

仮想ディストピア

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東畑開人

ご無沙汰しています。ヤスケンです。一年くらいブログを書けなかったけど覚えてますか?

 

この文章を読んだ人が、かつて俺の文章を読んだことある人で、「ああ、あいつ文章書いてたな」って思い出してくれると、とても勇気づけられる。誰かが自分のことを覚えているっていうのはとても嬉しいことだ。初見の人は読んでくれてありがとう。

 

この一年くらいは本当に過酷で、常識的な人の倍くらいは人生に負荷をかけてきた。細かい経緯は書き出すときりがないので省略するけど、一言だけ言わせてほしい。ホワイトとか嘘ついて人雇ってんじゃねえクソデブ(総務担当執行役員)!!!

 

ところで主題の人物である。俺はここ一年本当にしんどかった。ひどい負荷の中で情緒がぶっ壊れた結果、ハプバーに行く人が集まるバーに行ってハプバーの話を聞いたり、あと、ハプバーいったり、EDMを爆音で流しながら突然海辺に向けてドライブした。ハプバーではやってないし、当該ハプバーにおいてクラスターが発生して一回しか行きませんでした。

 

やばい。平たく言うとやばかったのである。やばいんだけど、ドライブ先の海辺ではドラッグやったりしないでサブウェイを食べていた。やさぐれながら川崎の臨海部でサンドウィッチを食べていたのである。サブウェイは野菜をたくさん食べれていいぞ。

 

そうすると改めて思う。忙しい。心を亡くしている。タスクの海に溺れている。人生こんなはずではなかった。余裕がない。いったい、おれの心はどこへ消えたのだ。

 

丸投げされた仕事をクソほど残業して遅くまでこなしつつ、家帰ったらバカみたいに電卓叩いたり法律の条文読んだりしてると人は心を亡くす。

 

一度落ち着こう。自分の足元を眺めるんだ。深呼吸をしてみる。大丈夫、おれはここにいる。まずはやるべきことを忘れて読みたい本を読もう。久しぶりに読んで自分のためだけに自分だけの時間を取り戻すんだ。というわけで、読んだのが主題の人の本であった。

 

東畑さんは心理学者で、カウンセリングとかやっているガチ勢である。このガチ勢の文章が本当に面白い。なんというか軽妙なのだ。硬軟、軽重使い分けると言うか。軽い時は森見登美彦、重い時というか確信的なことを言うときは比喩的な村上春樹の文体である。それで、多分その軽重、硬軟の間はなんか他のいい感じの著者がいるんだろうな。心当たりはないけど。

 

東畑さんはいろんな文章を書いている。おすすめしたいのは『心はどこへ消えた』だ(『野の医者は嗤う』も面白いよ)。週刊連載を書籍化したものなんだけど、途中から文章の構成が確立してくると俄然面白くなる。

 

本の後半は各回ごとに傷ついた人が心理的な傷と向き合う話が具体的に語られる。もちろん守秘義務との関係で本当の話ではないんだけど。でも、個々のエピソードを通じて、読者として、どこまでも「個別的」で「具体的」な人間の心と自分がしっかり向き合っていると感じられる。なるほど、このインクの上の染みから伺われる人物に自分は共感したり反発しているのだと感じられる。

 

そうすると、他人のエピソードを通じて、自分の気持ちを振り返り始める。他人の人生に向き合うことを通じて自分の感情に気がつくことが出来る。自分の心はここにいたんだ。

 

生きているとやるべきことに溺れれて心を亡くしてしまう。著者はもっと大きな文脈のもとに語るんだけど、これは本当にいい言葉だった。

 

「心は何度でも再発見されなければならぬ」

 

心はすぐに失われる。だからこそ再発見する必要がある。そうして再発見した心で『春夏秋冬』を聞いて、こじれまくっている彼女との関係を思い出して再び傷つくのである。

 

みんな!クソして風呂入っていい夢見ろよ!!