34歳からはじめる自由帳

あれが好きななにかについて言葉にするブログだわんわん。チャームポイントは誤時脱字。

愛している猫

 猫は人見知り、気まぐれと言われるんだけど性格に結構な個体差がある。かつて一緒に暮らしていた猫は対人関係がめちゃめちゃできる子だったのね。初対面の人の肩に登ったり、呼ばれればとりあえず鳴きながら足元に来てくれるような子だった。おまけに最後まで人間に対してキレなかった。

 

 彼女を買ったのは親だった。ペットショップで売れ残って、おまけに値下げされていたらしい。そんな彼女を不憫に思い、家族にも相談せずに気まぐれで買ったのがうちに来るきっかけだった。でも、その決断はまちがいなく正解だったと思う。

 

 かわいくてもこもこしていてるだけでも嬉しいのに、さらに人懐っこくて、なんというかこの子との間では絶対にコミュニケーションが成立していると信じさせてくれた。上京する時、玄関で後ろ足で立って前足でおれの足を掴んで離さなかったときは本当に驚いた。最終的には引き剥がした。猫わかるんかワレ!

 

 この猫との思い出は本当に深い。1時間一緒に遊んで猫が15分寝てまた遊ぶといったサイクルを夏休みの一日に何度も繰り返したりした。ずーっと一緒だった。ときには腕枕して寝かせることもあった。おれの入浴中は風呂場で待機するのも恒例だ。なんというか、この子がここにいてくれてよかったと心底感じさせてくれる存在だったと思う。

 

 けっしてうまくいっていなかった家族だったけど、彼女のおかげで家庭での人間関係がなんとかなったところはある。

 

 もちろん都合のいいことばかりではなかった。まず彼女とベタベタしすぎたせいで猫アレルギーになった。毛をいっぱい吸い込んだんだろうな。。。ご存じない方は猫吸いで検索してください。もう猫とは暮らせない。

 

 あと、うざいというか意思が強いというか、あるいはふてぶてしい子だった。膝に座っている彼女をどかせようとすると異常に体重が重くなってどかせない。ブラジリアン柔術かな?なにがあってもどかないという強い意志を感じる。どういう仕組で意思が質量に変化するんだ。

 

 上京するタイミングで猫アレルギーになったので、それからは帰省しても以前のようにベタベタできなくなった。猫が住む実家での滞在時間も俺の身体的に36時間が限界だったから。疎遠にはなったがそれでも帰省すると玄関で一番に猫の名前を呼んだ。その後の身体的なダメージがわかっていてもべたべたなで回して甘やかし倒せた時間は幸せだったな。

 

 しかし、結局、猫は年齢もあって一昨年の晩夏に亡くなった。

 

 死の直前まで、おれと彼女との間では親密なコミュニケーションが成立していた。最後に過ごした時間の中で、彼女は呼吸するたびに身体を膨らまし、生きているのも辛そうだった。でも、ぐったりとしながらも名前を呼ぶと尻尾で返事をしてくれた。つらそうな彼女の手を握るとぎゅっと握り返してくれた気がする。帰り際にも玄関まで送ってくれた。上京するときみたいに。つらそうでそれまでずーっと寝てたのに。そういうこなんだよ。

 

 その時に拝借した抜け毛と首輪が、そのまま形見になった。

 

 おれは彼女の死の前後で6回は嗚咽を漏らして泣いた。いい年した大人が馬鹿みたいに鼻水を垂らしながら泣いた。こんなに好きだったこが、今死のうとしている。誰かのためにそんなに何度も心の底から泣いたのは初めてだった。

 

 今でもときどき彼女が夢に出てくる。そんな日の朝は久しぶりに彼女に会えた幸せな気持ちで夢を思い出しながら、同時に、彼女が今この世にいない辛さを、まるで一人この世に置いていかれたような孤独を噛みしめる。二つの気持ちを抱えながら、出勤する前に玄関で首輪の鈴を鳴らすことで折り合いをつける。

 

 そうか、もう君はいないのか。

 

 結局、最後に一緒に暮らした猫になってしまった。でも、その猫が彼女で本当に良かったと思う。

 

 今日は彼女の命日。