34歳からはじめる自由帳

あれが好きななにかについて言葉にするブログだわんわん。チャームポイントは誤時脱字。

若林正恭

 若林正恭が好きだ。かつて自意識の強さからスタバでグランデって言えなかった若林が好き。わかる。おれもちょっと恥ずかしかった。尊敬の念を込めて以降はさんをつけますね。

 

 若林さんが仕切っている番組が楽しかったけど、好きになったのはその文章を呼んでからだった。というのも彼の『斜めの夕暮れ』、『表参道のセレブ犬と、バーニャ要塞の野良犬』があまりにも良かった。

 

 特に良かったのが、『斜めの夕暮れ』。いろんなことを斜めに捉えてしまう若林さんがある出来事をきっかけに、正面から捉えようときめる。そう思うに至るきっかけはすごくつらい話だった。でも、斜めの視線が終わるにはこの出来事だけじゃ足りない。

 

 世の中的に天才と呼ばれる人がいかに自分の抱えるもどかしさを芸に昇華しているか、その様子を踏まえて若林さんは語る。「右記のようなカッコ悪くて不健康な天才になるより、地点は低くても等身大の自分のほうがユニーク(気軽という言い方でもいいだろう)じゃないだろうか?という提案だ」。

 

 若林さん、わかる、めっちゃ分かるよ。斜めに色んなものを見ることは、自分が何者かになりたいけどなれないという事実から逃げるうまい作法だ。

 

 何者かになるというのは、実のところ、他人との関係性のなかでどれほどの者になるかということでもある。そして自意識の高いものほど往々にしてそのハードルはめちゃくちゃに高い。

 

 斜に構えることは言い換えると、同時に何者かになっていいる人との関係性を正面から受け止めずに逃げる受け身でもある。おれは、狭い世界で彼のいう不健康な天才に近いところがあった。いや、天才じゃないよ。天才だと信じたかった。もっと小さく言えばどうしようもない欠落感を努力で埋めたことがあるっていう程度だ。

 

 今ならわかる。斜めをやめることこそ何者かになりたいことを諦めると同時にありのままの自分を受け止めるってことなんだろう。なんでこんなに、たかだか斜めに出来事を見ていたと振り返る話が刺さるんだろうか。いや、答えはシンプルだ。俺が斜めに物事を見ており、とはいえ、同時に正面から物事を捉えたいからだ。

 

 つまるところ、人に認められている自分じゃないと肯定できないんだ。今もどこかで、そう思っている。

 

 だから、この本が刺さる理由は簡単だ。ただの人間が、どうしても何者かになりたかった人間が、自分が立っている地点から僕はただの人間ですって、大きな声ていう様が好きなんだ。血を流しながら自意識とか折り合いをつける様が。

 

 この本はそういう何者かになりたい願望と向き合った著者の血で書かれた本だ。そしてその折り合いをつける具体的な方法が、p,146から始まる「斜めの殺し方」だ。それは「肯定ノート」をつくることである。

 

 肯定ノートは好きなものを書き留めるノートのことだ。これは、いろんなことをどっかで自分が好きなものなんてって思っちゃうけど、好きなものを言葉にして確認するっていうことは正面から自分の感情で世界を捉えることであり、自分の好きという気持ちを大切にするっていうことだと理解してる。とりあえず自分の好きなことを言葉にして書いてみる。

 

 どんなことでも、その筋の人から見ると理解が浅くとも自分が何かを好きだという感情、心の気持ちを大切にする。肯定ノートはそんな実践でもある。

 

 今までそんなこと一言も言言いませんでしたが、このブログは34歳男性の肯定ノートです。

 

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

 

 

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

  • 作者:若林 正恭
  • 発売日: 2017/07/14
  • メディア: 単行本
 

  

完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)