『失敗の本質』
『失敗の本質』は名著らしい。今でも時々参照、言及されている記事を見かける。というわけでまた背伸びして買ったのを、たらたら、時に寝落ちしつつも数週間かけて読みました。読みきった自分を褒めてやりたいよ。
中身の評価について。
・もう35年前の本なので、当然、後発の研究により分析対象となる事実が塗り替
えられていたり、理論的に乗り越えられているだろう。
・多分、経営学の教科書で古典的な研究として言及される程度の扱いな気がする(そ
れでも十分すごい)。
・方法論的にも微妙な気がする。
・読書家のビジネスリーダーとかジャーナリストが名著として言及してたりするので
今でも目に触れるけど、組織論を学びたいなら変に神格化しないで本書が位置づけ
られる分野の教科書を読んだほうが良いんじゃないか。
・それでも読んでて吐きそうなくらい刺さるところがあった。
・書き手のカロリーが伝わる。
・これはこの本好きになっちゃうわい。
刺さったとこの抜粋。読みやすいように改行する。特に刺さったところは太字。いずれもページは中公文庫72刷(72刷ってやべえな)。
日本軍は、はじめにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当たり的に対応し、それらの結果を積み上げていく思考方法が得意であった。
このような思考方法は、客観的事実の尊重とその行為の結果のフィードバックと一般化が頻繁に行われるかぎりにおいて、とりわけ不確実な状況下において、きわめて有効なはずであった。
しかしながら、すでに指摘したような参謀本部作戦部における情報軽視や兵站軽視の傾向を見るにつけても、日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたと言わざるを得ない。p.285
他方、日本軍のエリートには、概念の創造とその操作化ができた者はほとんどいなかった。
個々の戦闘における「戦機まさに熟せり」、「決死任務を遂行し、聖旨に沿うべし」、「天佑神助」、「神明の加護」、「能否を超越し国運を賭して断行すべし」などの抽象的かつ空文虚字の作文には、それらの言葉を具体的方法にまで詰めるという方法論がまったく見られない。
したがって、事実を正確かつ冷静に直視するしつけをもたないために、フィクションの世界に身をおいたり、本質に関わりない細かな庶務的仕事に没頭するということが頻繁に起こった。pp.287-288
日本軍が特定のパラダイム*1に固執し、環境変化への適応能力を失った点は、「革新的」といわれる一部政党や報道機関にそのまま継承されているようである。
すべての事象を特定の信奉するパラダイムのみで一元的に解釈し、そのパラダイムで説明できない現象をすべて捨象する頑なさは、まさに適応しすぎて特殊化した日本軍を見ているようですらある。
さらに行政官庁についていえば、タテ割りの独立した省庁が割拠し日本軍同様統合的機能を欠いている。このような日本の政治・行政組織の研究は、われわれの今後の課題である。p.396
うわあ、今の仕事絶対にやめよう。
*1:たしか文中では「ものの見方」と言い換えられてた。