34歳からはじめる自由帳

あれが好きななにかについて言葉にするブログだわんわん。チャームポイントは誤時脱字。

プロジェクトX

 まあ、プロジェクトXはあれである。シンゴジラの規模をしょぼくして毎週やっていたようなもんである。昭和である。おっさんである。

 

 それでも放映当時は本当にすごかったんだよ。シンゴジラプロジェクトXを超えたんだ。

 

 当該番組は、中島みゆき→危機→がんばってなんとかする→なんとかなる→中島みゆき、という形式が確立したサラリーマン的ノンフィクションである。昭和生まれにはOP「地上の星」とED「ヘッドライト・テールライト」が刺さった。

 

 好きなエピソードを三つ。

 

 ①『執念の逆転劇 世界を驚かせた一台の車/名社長と戦った若手社員たち』

 1970年代、当時はスピードが勝負のホンダで環境的な評価軸から見て革新的な新車を開発してクッソ厳しいアメリカの排気ガス規制を通す物語である。すげえ格好いいのは、そんなスピード最高、排ガス上等のホンダで排気ガス抑制というミッションに立ち向かった技術屋さんの言葉だ。

 「車が空気を汚しているんだったら、まあそれっきりにするのが技術屋の役目じゃないか」

 「そこまで必死に走ることだけが目的じゃないんだ。われわれがここまで走ることにはきれいな空がまってる。そして自分も世の中にそういうかたちで貢献できる時代に居合わせたことを大変幸せなことなんだ。」

 

 ②『わられ茨の道を行く~国産乗用車攻防戦~』

 これも格好いい。戦後すぐの1950年代に国産乗用車量産に挑む話だ。時代は米国車が国産車を技術的に圧倒する時代。会社で米国車生産の下請けとして凌ぐか自前の国産車生産で打って出るか、トヨタの一社員のおっさんが常務に問われた時、おっさんは「技術で勝負したい」と申し出る。これは本当に格好いい。その全権を任されたおっさんが言うんだ。

 「開発は夜行列車の運転と同じだ。先が見えなくても度胸で走り続けろ」

 

 ③『炎を見ろ 赤き城の伝説~首里城・執念の親子瓦』

 このエピソードはちょっと異色かもしれない。太平洋戦争ですでに色がはがれていた首里城は消失。1950年代、剥げる前の赤を含めて首里城を復元させようというプロジェクトにおっさんたちが挑む。

 プロジェクトXはエンジニアの話とそれ以外の普通の人の話が分かれているのがほとんどなんだけど、これは両者が融合した話である。このエピソードを好きになったのは社会人になってからだ。一見、工学的なプロジェクトでも文系が核心を担えるという希望だった。素敵な言葉はあったかな、、、?覚えてん。

 

 この三つのエピソードはおれの社会人になってからの仕事の軸をつくっている。

 

 今更だけどおれ中小自治体の事務職公務員なんですよ。そんな役人ですがかつて新人の時に新しい政策をやろうと思ったことがあるんですね。振り返ると、この三つのエピソードはほんとうに自分の信条の背骨をつくってくれたと思う。

 

 いろいろな経緯を経てくっそハードモードに自分のまちが置かれました。入ったときにはそんな感じでした。こういう時、公務員が晒される誘惑はちょろちょろっと問題解決のためという体で近くの自治体の真似を適当にやって議会含めて対外的には「先進事例をまねしました」「がんばってます」といいはることなんですね。

 

 でも、絶対そういうことはしたくなかった。

 

 だって適当によそのまねをしてもうまくいくわけないし。一生懸命やった方がいいじゃん。

 

 プロジェクトを担当してたときの気持ちはどんなだっただろうか。

 ①「今、こんなクソみたいな状況に置かれているけれども税金を使って問題解決のために社会へ働きかける立場にいられることはとても幸せなことなんだ。」

 ②「うちはよその真似でお茶を濁すなんてことは絶対にしない。方法を開発してなんとかする。」

 ③「とはいえおれは技術のことはわからん。だから、わかる人に参加してもらって問題意識のもとに大暴れしてもらっても全体をまとめる立場で踏ん張る。」

 こんな風に思ってた。新人のくせに、同時にだからこそ気張ってたんですね。

 

 俺がつくった政策はどうなったんだろうか。その結末はここでは記さない。

 

 でも、その政策をつくる過程と異動後を観察する中でいろいろ役所へ抱いていた希望は潰え、やめることになった。

 

 でもプロジェクトXは大好きだ。本当に思春期にこの番組を見れてよかったと思う。

 

 へっどらーいーと てーるらーいと たーびはーまだおわらないー