34歳からはじめる自由帳

あれが好きななにかについて言葉にするブログだわんわん。チャームポイントは誤時脱字。

東畑開人

ご無沙汰しています。ヤスケンです。一年くらいブログを書けなかったけど覚えてますか?

 

この文章を読んだ人が、かつて俺の文章を読んだことある人で、「ああ、あいつ文章書いてたな」って思い出してくれると、とても勇気づけられる。誰かが自分のことを覚えているっていうのはとても嬉しいことだ。初見の人は読んでくれてありがとう。

 

この一年くらいは本当に過酷で、常識的な人の倍くらいは人生に負荷をかけてきた。細かい経緯は書き出すときりがないので省略するけど、一言だけ言わせてほしい。ホワイトとか嘘ついて人雇ってんじゃねえクソデブ(総務担当執行役員)!!!

 

ところで主題の人物である。俺はここ一年本当にしんどかった。ひどい負荷の中で情緒がぶっ壊れた結果、ハプバーに行く人が集まるバーに行ってハプバーの話を聞いたり、あと、ハプバーいったり、EDMを爆音で流しながら突然海辺に向けてドライブした。ハプバーではやってないし、当該ハプバーにおいてクラスターが発生して一回しか行きませんでした。

 

やばい。平たく言うとやばかったのである。やばいんだけど、ドライブ先の海辺ではドラッグやったりしないでサブウェイを食べていた。やさぐれながら川崎の臨海部でサンドウィッチを食べていたのである。サブウェイは野菜をたくさん食べれていいぞ。

 

そうすると改めて思う。忙しい。心を亡くしている。タスクの海に溺れている。人生こんなはずではなかった。余裕がない。いったい、おれの心はどこへ消えたのだ。

 

丸投げされた仕事をクソほど残業して遅くまでこなしつつ、家帰ったらバカみたいに電卓叩いたり法律の条文読んだりしてると人は心を亡くす。

 

一度落ち着こう。自分の足元を眺めるんだ。深呼吸をしてみる。大丈夫、おれはここにいる。まずはやるべきことを忘れて読みたい本を読もう。久しぶりに読んで自分のためだけに自分だけの時間を取り戻すんだ。というわけで、読んだのが主題の人の本であった。

 

東畑さんは心理学者で、カウンセリングとかやっているガチ勢である。このガチ勢の文章が本当に面白い。なんというか軽妙なのだ。硬軟、軽重使い分けると言うか。軽い時は森見登美彦、重い時というか確信的なことを言うときは比喩的な村上春樹の文体である。それで、多分その軽重、硬軟の間はなんか他のいい感じの著者がいるんだろうな。心当たりはないけど。

 

東畑さんはいろんな文章を書いている。おすすめしたいのは『心はどこへ消えた』だ(『野の医者は嗤う』も面白いよ)。週刊連載を書籍化したものなんだけど、途中から文章の構成が確立してくると俄然面白くなる。

 

本の後半は各回ごとに傷ついた人が心理的な傷と向き合う話が具体的に語られる。もちろん守秘義務との関係で本当の話ではないんだけど。でも、個々のエピソードを通じて、読者として、どこまでも「個別的」で「具体的」な人間の心と自分がしっかり向き合っていると感じられる。なるほど、このインクの上の染みから伺われる人物に自分は共感したり反発しているのだと感じられる。

 

そうすると、他人のエピソードを通じて、自分の気持ちを振り返り始める。他人の人生に向き合うことを通じて自分の感情に気がつくことが出来る。自分の心はここにいたんだ。

 

生きているとやるべきことに溺れれて心を亡くしてしまう。著者はもっと大きな文脈のもとに語るんだけど、これは本当にいい言葉だった。

 

「心は何度でも再発見されなければならぬ」

 

心はすぐに失われる。だからこそ再発見する必要がある。そうして再発見した心で『春夏秋冬』を聞いて、こじれまくっている彼女との関係を思い出して再び傷つくのである。

 

みんな!クソして風呂入っていい夢見ろよ!!